ナガタ源平合戦〜6〜

扉が開いた。その隙間から半身で飛び出し、誰にも自分の前は歩かせない、と鬼のような形相で駅のホームを駆け抜けた。

 

  ○

 

中間テスト二日目、僕は目を血走らせて高速長田駅へと向かう電車に乗っていた。

直前のテスト遅刻描写を受け多大なるデジャヴを感じる方は多いと思うが、これはコピペでも、バグでも、不当な操作でもない。このアナログな手記にそんなものは存在しない。この急な展開に何が介在しているかというと、あくまで時間の経過である。今この瞬間に、見事なタイムワープがこの手記中で行われたのだ。先ほどの「中間テスト二日目」は一学期の話、今回の「中間テスト二日目」は、二学期の話である。あくまでそのつもりで僕の話について来て欲しい。

「二学期の」中間テスト二日目、僕は多大なるデジャヴを感じながら、自動扉の前でいつでも飛び出せる準備をして立っていた。数ヶ月前におかした失敗から何も学習していない自分が恨めしい。昨日のことのように、あの学校まで続く坂道のダッシュを思い出す。テストが始まって五分、汗をかき、風に煽られボロボロの姿で教室に入って来た僕を憐れみの目で見た教師とクラスメイト、そしてニヤリと笑う間部。あんな思いはもう二度とごめんだと思っていたのに、今日の遅刻である。走るのは諦め、何事もない涼やかな顔で登場しようかという思いに駆られてしまう。

ああとりあえずは急ぐのだ、と気持ちを切り替え、鞄からパスケースを取り出す。真っ暗な地下のトンネルを抜け、そのうち駅の明かりがガラスに反射し始めた。プシューと停車したのち、「高速長田高速長田です」と扉が開いた。前回と同様、誰よりも早く駅の階段を駆け上がる。スピードはそのままに改札を通り抜けようとしたところで、はたと気づいた。さっきまで手に持っていたはずのパスケースがない。嘘だろ、持っていたはずなのに、とポケットを探るも見当たらず、落としたかと後ろを振り返ると、電車を降りてきたサラリーマンたちが改札前にやって来ており、その群衆の足足で床が見えない。焦りに焦った僕であったが、改札の前で止まっては邪魔になるので、一旦壁際に退散した。人混みが目の前を交差し、改札へと流れ込んでいく。壮観だなとも言っていられず、頭の中でどこで落としたのか見当付ける。階段を走って上がった時に、手からすっぽ抜けたという可能性が高そうだ。早く、早くみんな駅から出て行ってくれ、と思いながらも、「もうテスト終わったわ」という諦めの気持ちが湧き上がってくる。

おおよそ人の波が去ったので、僕は階段へ向けて急いだ。誰もいない階段の上から全体を見下ろすも、黄緑のパスケースはありそうに無い。降りるか、と一段足を降ろしかけたとき、

「あの」

と後ろから声が掛けられた。

振り返ると、一人の女の子が立ってこちらを見つめていた。その手には黄緑のパスケースがある。

「あの、これ探していらっしゃるんですか」

声が遅れて聞こえて来た。脳に伝わるまでに時間がかかった。その問いかけに返事をし、彼女がにっこり笑って「良かった」と言ったとき、僕はその人をまるで女神のような人だと思った。笑った顔を直視できず、目線をそらした。服装は白のブラウスにギンガムチェックのパンツ、カーディガンを羽織って上品にまとめられている。下されたこげ茶の髪は長くサラサラであり、白い顔は薄めだが整っていて、申し分のない美人である。感じの良さ、人当たりの柔らかそうな柔和な表情は、性格の良さをそのまま表しており、その雰囲気に一瞬飲み込まれそうになる。

我に返り、自分が遅刻途中だということを思い出し、「ありがとうございました」と言って改札へ走り出した。後ろで彼女は僕を見ているだろうかと思うと、背負っているリュックがガサガサと揺れているのがやけに気になった。改札を抜け、最後にもう一度彼女の顔を拝んでおこうと振り返ると、今から定期を出そうという彼女と目が合った。

「テスト、頑張ってね」

その言葉に思わず、

「あなたは走らないんですか」

と返すと、

「私のテストは一時間後から。早めに来たの」

そう告げ、ほら遅れちゃうよとにっこり笑って手を振った彼女に、名残を惜しみつつ背を向け踵を返した。

 

  ○

 

毎年二学期の終業式前日には、文化部発表会なるイベントが開催される。文化祭ほど高校全体で盛り上がる行事ではないものの、数ある文化部たちが半年間の成果を皆に見て貰える一日だ。講堂では様々なパフォーマンスが順繰りに行われ、教室でも展示や菓子の販売がなされる。

 

 依然として普段との代わり映えもなく、僕と間部は二人並んで文化部発表会を回ることにした。どこから向かおうかと適当に歩いていると、茶華道部の受付が目に入った。どうやら、三階の奥の部室で茶華道部のお点前に参加できるという。文化祭のような、お客の回転率を高くした喫茶店のような形態とは異なり、完全に茶室を模した部屋でのお点前であるらしい。人数制限があり、一回あたり生徒が十人ほどしか入れないらしいので、十二時と開始時間が書かれた整理券を取り、一旦その場を離れた。

 棟を移動し、教室の展示に目を通す。工夫が凝らされたそれらは、細かいところまで拘られていて、じっくり見れば見るほど面白い。しばらく眺めたのち、講堂のパフォーマンスを見ようという流れになった。ちょうどやっているのは吹奏楽部で、入るとクリスマスらしき仮装をした部員たちが、段になっているステージにずらりと並びひしめいている。軽快なクリスマスソングは馴染みのものばかりで、身を任せていればすぐに時間は経っていく。なかなか上手いなと一息つき、ふと時計を見ると十二時が迫っていた。

「あ、やべ、お抹茶始まるぞ」

の声を皮切りに、一目散に三階へ向かうべく講堂を飛び出した。

 

 十二時数分前には着いたものの、前の回が押しているとのことで、控え室で十分ほど待たされた。オレンジの光を放つストーブを眺めながら、手をかざす。十二月の校舎はかなり寒いのだが、こうして締め切られた室内でストーブのそばに座っていると、すぐに体が熱くなってきた。そろそろかなと顔を上げると、ではどうぞと女の子に声を掛けられた。

 静かである。間部とともに通された茶室は、「お喋り」のような軽薄な行為は許されないほどに静まりかえり、音を立てれば即刻首でも飛びそうな雰囲気であった。その回のお茶会参加者十名が、壁沿いに並べられた座布団の上に正座で座る。僕と間部の両隣には三人組と二人組の女の子グループ、後者の横には普段はうるさいであろう三人組の男子が座っている。彼らですら神妙にこの場の調和を乱さないよう懸命に努めている程なので、静かさには定評ある僕も、緊張で肩が強張っていた。

 その重厚な空気を解放するかのように、茶室の左手の壁、中央付近の襖がするすると開いた。そこには、長田の冬の標準服、紺色のセーラーに身をつつんだ女の子が正座をして構えており、そのまま深く頭を下げた。そして彼女が面を上げた瞬間、僕は動揺を抑えきれず、身体をよじらせ間部に肘打ちを喰らわせてしまった。静かな茶室で「うっ」と声を上げてしまった彼が、恨むような目でこちらを見ていることは分かったが、その時の僕に間部を眼中に入れる余裕はなかった。立ち上がり、静々と茶室を横切って歩くその姿に、僕は呆然として見入った。彼女こそ十月の中間テスト遅刻寸前に定期を拾ってくれた恩人であり、その美しさに見とれた人であり、その日以来二ヶ月、一日たりとも思い返さなかったことはない「彼女」であった。あの時下ろしていた髪は低めの位置でくくられ、またその表情は引き締まっている。先日とは全く異なる彼女の雰囲気に、再び脳天を貫かれたような気がした。

 彼女は部屋の右隅にある炉まで進み、膝を折って座った。お点前の始まりである。彼女に続いて入ってきた女子が、「日々是吉日」などの茶道用語や茶器、お菓子の説明などをする。彼女はあくまで無言で、炉からお湯を柄杓ですくったり、シャカシャカと茶筅で抹茶をこなしたりしていた。

再び相見えることの出来た喜びに、僕の心は踊り、胸の高鳴りは心機能を駄目にしてしまうのではと思われるほどであったが、彼女の流れるようなお点前ぶりに水をさしてはいけないと必死で自分を抑え込んだ。口に入れた砂糖たっぷりの和菓子が、どうも歯に沁みるように感じた。

 

畳が敷き詰められ襖で仕切られた茶室、そこで静かに、彼女に茶を点ててもらう。僕は茶室を出た後、恍惚とした気分に浸りきり、ぼうっとなってしまった。彼女の醸し出すゆったりとした時間に包まれた和の空間。柄杓で釜のお湯を掬い、こぽこぽと水音を奏でるその後ろ姿。こんな形で再会するなんて、嗚呼もしかして僕と彼女の間には強い縁があるのかもしれない、と思っていると、

「縁があるのかな」

と間部が言った。僕は頭の中の妄想が口からダダ漏れしていたのかと思い、「え」と言うと、

「兄弟だしやっぱり縁があるのかな。文化祭でもお茶運んできたし、今回のお茶立ても姉ちゃんだし。こわ」

と返された。

 僕が運命を感じた人は、間部の実の姉だったのである。

 

   ○

 

知れば知るほど、間部花梨という人は魅力的だった。美しく聡明で、非の打ち所のない人だった。思えば、初めて彼女と会った茶華道部のお点前でも、(愚かしくも間部に気を取られてしまったが)間違いなく彼女の浴衣姿は凛として気品があったように思うし、男装コンテストで優勝など、元々の容姿の端麗さが窺われる。また、聞けば学年でも有数の才女であり、優秀な成績で皆から一目置かれているらしい。幼少期から続けているという合気道では県大会に進んだことがあるだとか、運動会でのリレーでは逆転一位を収めたとか、彼女のマルチ伝説は奇術のように「あっちから出てきた、こっちから出てきた」と後を絶たない。つくづく間部の姉であることが悔やまれる。そして、自分が彼女と何ら釣り合わない、至って特筆することもない人間であることが悲しくなった。

 

僕は日がな一日、飽きもせずに彼女のことを考えた。授業中も上の空で、出来るだけさりげなく間部から聞き出した情報をもとに、妄想を繰り広げていた。

僕は間部に、彼女への想いを打ち明けることはなかった。自分の家族に友人が想いを寄せているなどという状況は、間部にとっても気詰まりだろうし、自分と間部の間に変な下心があるように受け取られるのも嫌だった。間部は、僕の気持ちに薄々気付いていたかも知れない。「さりげなく」彼女について聞き出そうとしていることにも、感づいていた可能性はある。だが間部はそんなことはおくびにも出さず、普通に僕と接してくれた。僕も、何事もないかのように普通に接した。彼女が間部の姉であると言う事実に、目を瞑りたかったというのも正直なところである。

 

一体どうすれば彼女とお近づきになれるだろうか。部活にも入っていない、塾にも行っていない、バイトをしている訳でもないという「住所不定無職」のような高一である。受験に焦らされる時期でもないため、とにかく暇を持て余していた。そんな男が恋に落ちたりなんぞすれば、全ての時間を物思いに費やすことなど至極真っ当な流れである。

物思いとは自分の内面との対話であり、脳内で一問一答を続けていると、急速に世界は狭くなっていく。その過程で世に蔓延る黒歴史の根源、つまり「どうかしている」ようなアイデアが浮かび上がってくるのである。身悶えするような記憶、それは自分の考え付いたことであり、自分で決定したことであり、自分が行動したことである。そして恋に落ち、「どうかしていた」僕は、もちろん「どうかしている」思いつきをする。それこそ、その思いつきこそ、「新聞委員会に入る」であった。勿論「彼女とお近づきになるために」である。

そして、将来黒歴史になりそうな思いつきに限って、普段は見せない行動力を発揮してしまったりするものである。結論僕は思いついて早々、顧問に話をつけに行ったのだが、今にして思えば、この行動力は本当に僕の指針に基づいてのものだったのか、それとも予定調和の出来事だったのか、それを思うとわだかまるような、なんとなく妙な気持ちになってしまうのである。

 

一体僕はいかなる思考回路を経由して、この結論に至ったのか。そこには三段跳のような論理の飛躍が存在している。彼女に近づくためには、まずその視界に入るポジションを獲得しなければならない。学年が一つ上のため、同じクラスになるようなことは万に一つもなく、もちろん普段すれ違うということもない。そこで考えられるのが、部活動だ。彼女と同じ部に入ってしまいさえすれば、彼女の近くで同じ空気が吸え、「ここ、分からないので教えてください先輩」などという風に非常に自然に話ができる。嗚呼素晴らしき哉、と夢想するも、彼女は女の園茶華道部の住人なので無残にもその夢は潰える。致し方ない、さあどうしようかというところで登場するのが、新聞委員会だ。その見た目だけでなく、マルチな能力で学内を無双している彼女のことである、きっとこの先も何かしら人目を引く華々しい活躍を見せることだろう。したらば、「取材」という名目のもと彼女に話しかけに行くきっかけを掴み、教室に行ったり二人きりで話したり、そこから連絡先の交換や諸々のお約束…。夕焼けの紅い光が教室に斜めに差し込む中、僕と彼女は向かい合って腰掛け、静かな時間の流れに身を任せつつ二人は微笑み合う。彼女の勇姿を記事にするべく僕はその声に耳を傾ける。

妄想は途切れることはない。

途切れることがなかった故に、「彼女が偉業を成し遂げ、その取材に行く」という来たるべき一瞬のためだけに、僕は膨大な自由の時間を犠牲にしたのだった。

 

 

 

 

ナガタ源平合戦〜5〜

 

 

 文化祭が終わると、中間テストに向けて一気に勉強ムードが学校を包む。腐っても県下ナンバーワンの公立校、定員割れとはいえ勉強の出来る人間が肩を並べている。休み時間に単語帳をめくっている奴もいれば、固まってふざけている奴もいる。しかし表向き遊んでいるように見えても、裏ではちゃんと勉強しているんだろうなという印象であった。

テストにおける中学と高校の大きな違いは、国語なら古文漢文現代文、数学もIとA、理科も化学物理生物と、単元ごとの分化が一気に進むことである。授業も課題もそこそこ真面目にやっている僕であったので、ちゃんと復習さえすれば心配はいらない。だが、僕は人よりも中間テストを頑張らなければならないという自覚があった。なぜなら、僕は合格後に出ていた春休み課題の存在を知らず、課題が範囲になっていた入学早々の実力テストを、本当に実力で受けることになったという苦々しい過去があったからである。

 

中間テスト二日目、僕は目を血走らせて高速長田駅へと向かう電車に乗っていた。昨日のテスト一日目が無事に終わったことから、安堵して優雅に午後を過ごしてしまい、夜十時になって教科書を開いたときに、全く手をつけていない生物の単元に気が付いてしまった。深夜二時までやったもの一段落したとは言い難く、朝起きてやろうと一旦ベッドに入ったがそのまま眠りこけてしまった。勉強できていないどころか、テストの時間に間に合わない。どたどたと音を立てて出て行った僕を、弟が目を丸くして見送った。

自動扉の前に立ち、駅に到着した瞬間飛び出せるようにスタンバイしている。今、「大開」と書かれ、うっすらと青く光っている駅の看板がガラスの向こうで瞬き、飛び去って行った。あと一駅で着く。鞄から定期の入ったパスケースを取り出し、右手、左手と持ち替える。

「まもなく、高速長田高速長田です。…」

到着のアナウンスに僕は体を硬くし、今から校舎まで全力でダッシュ出来るように身構えた。

 

 

ナガタ源平合戦〜4〜

 

 誰もいない教室に女子に連れ込まれるなど、一生のうちに一度あるかないかという所だろうが、こんなにも嬉しくない所為があるだろうか。「見ないからTシャツになって短パン履いて」と言われるがままに身に付け、上からピンクの花模様の浴衣を被せられる。また顔にも手を出され白いクリーム状のものを塗られると、丸いパフで粉を叩かれ始めた。何だこれと流石に抵抗しようとすると、「口開かないで」と言い放たれ、僕はすべての権利を奪われた状態になった。

 一時間後、僕は屋外ステージの上に、男装女装コンテスト三組代表として三宅さんと立っていた。三宅さんは僕より背は低いものの、イケメンと形容するにふさわしく、黄色い歓声にも楽しむように応えている。対して僕は、即席に選ばれ即席に体裁を整えられた女装っぷり。はじめに鏡を見た時は、なかなか良いところまで行くんじゃないかと思ったものの、準備と心構えの出来た他クラスの面々と比べると風采は上がり切らないなという印象であった。ステージの上からニヤリと笑う間部と目があった時、僕の表情筋は完全に引きつり、同時に彼のスマホのシャッターがパシャりと音を立てていた。ここで、僕のコンテストでの記憶は途切れた。

 コンテストの結果は投票で行われ、明日の閉会式で発表だという。終了後ステージから降り、すぐさま浴衣を脱ぎ捨て顔を洗った。たった一時間前に着ていた自分の服に、少しの違和感を感じていることにはびっくりしたが、すぐに心の安定を取り戻し一息ついた。ステージ上の熱気を思い出しながら、想像もしていなかった展開に、もしや夢だったんじゃないかと思うほどである。気疲れに、椅子に座ったままぼんやりと空を見つめる。誰もいない教室は薄暗く、窓から差す日は白々としていた。よし、帰ろう、と思った。

 二日目の文化祭は、もういいかなと思って行かなかった。親が行きたいと言っていたので、「すごい完成度だし、行ってきたら」と伝えると、弟を連れて出て行った。「あんたって子は、本当にそういう行事にはノリ悪いんだから」と言われ、ステージに立ったなんて言ったら驚くだろうなと思ったが、黙っておいた。

 

 週明けに登校すると、文化祭などなかったかのように平常運転の毎日が始まった。あのお祭り騒ぎが跡形もなく消えてしまった、と少しのさみしさを感じていると、「男装女装コンテスト・投票結果」の張り紙がしてあり、こんなところに片鱗を残さんでもと頭が痛くなった。女装一位は三年の岡田という先輩であり、三位までの欄に僕の名前はなかった。男装一位のところには、二年・間部花梨の名前がある。まさかと傍らにいた奴に尋ねると、「うん、それうちの姉だわ」とのたまった。

 

 

 

ナガタ源平合戦〜3〜

文化祭の出し物には、大まかにクラス出展と部活出店とがある。クラスの方に関しては、一年は展示、二年は出し物、三年は屋台という風に振り分けられ、僕たちの代の展示の題材は顔出しパネルであった。

文化祭当日の何週間か前からパネルの製作は始まり、何をモチーフにするかや材料をどうするかなどが話し合われた。その年度の文化祭自体のテーマが「Once upon a time」であったため、三組のパネルのモチーフはシンデレラに決定し、放課後に使うから絵具を持ってくるようにとのお達しが全体に届いた。そしていつの間に作ったのかは分からないが、女子の中の誰かが書いたに違いない構図を拡大模写し、段ボールに塗色する作業が始まった。生まれつきそういう行事ごとやクラス単位の何かしらに積極性のない僕が、女子が中心となって行うパネル作りに近付ける訳もなく、間部と一緒に教室の後方、壁際に寄せられた机の上に尻を置いてほとぼりが冷めるのを待つという数日間は、なかなかの地獄であった。男子の多くはそうであったと思うが、その例に漏れず僕も間部も絵具は持参して来なかった。無用の長物にも程がある。

 

文化祭に向けての労を一切払わなかった僕には、当日までの日々は平穏平坦、ほとんど記憶にも残らない生活を送っていた。とはいえ初めての文化祭、そして一応日本男児、お祭り騒ぎには血が踊る。当初僕を怯えさせた垂れ幕も赤、黒、白、黄、鮮やかに彩られ、入り口と中庭で生徒たちの気分を高揚させていた。

校舎内にはお化け屋敷や喫茶店、講堂のステージでは演劇部や吹奏楽部の演目が目白押し、茶華道部は茶を点て生け花を飾り、家庭部は手作りのクッキーを売っている。中庭では三年生たちの出店が肩を並べ、焼き鳥ワッフルたこせんべい、こだわりの看板は立体的平面的、また山岳部のカレーや水泳部の揚げアイスなどは部の伝統として受け継がれているそうである。出店の立ち並ぶ中に設置されているのは、屋外ステージだ。書道部によるパフォーマンスやバンド演奏、文化祭スタッフによる多種多様な企画がここで行われる。

初めて目の当たりにした文化祭の活況に、僕は目を見張り「さすが」の一言をこぼさざるを得なかった。校内マップやステージスケジュールが記載された小冊子を片手に、間部とともにウロウロする。お化け屋敷やジェットコースターといったところは飾り付けもそれらしく派手にしてあり、人が集まりやすく行列ができている。間部と僕は「すげえな」「上手いな」の言葉とともに、その前を通り過ぎて他の店へ向かった。

祭りの熱気に当てられ早々に癒しを求めた僕らは、茶華道部のお点前が癒されそうだと南棟二階へ足を向ける。色とりどりの浴衣姿に抹茶の香り、ディスプレイの和傘。畳の敷かれたお座敷に一瞬気後れを感じたが、えいやと畳にあぐらをかく。「こしあん」「つぶあん」「白みそ」の三種類から選べる柏餅は、僕は白みそ、間部はこしあんを選択した。白みそ餡の柏餅など初めて口にした僕は、その絶妙な塩味とそれにより引き立てられた甘味に驚愕し、深い味わいのお抹茶とともに美味美味と食した。間部も美味しそうに食べていたが、抹茶を運んできてくれた浴衣姿の女の子に気を取られていることが丸分かりであった。女子などには毛頭興味がない男だと思っていたため、見過ぎだぞとからかうと、あれは自分の姉だとのたまった。何だって、きちんと見ておけば良かったと間部の姉の姿を探すも、裏方へ引っ込んでしまったようであり、僕らの滞在時に出て来ることはもうなかった。

 

そのあとは、講堂のステージを暗幕をかき分け覗いたり、出店の焼き鳥を買って食べたりした。五月の只中、店から立ち上る煙とも相まって、かなり暑い一日である。

 

さあ次はどうしようかとマップを二人で見ていると、三組の女子数人がこちらへ向かって駆けて来た。どうしたんだろうと他人事のように眺めていると、何と間部に用があったらしく、思いがけず話し掛けてきた。

「ねえ間部くん、今から時間あったりする!?」

文化祭だからであろう、白いレースのついたトップスに短パンという夏らしい爽やかさで、授業日よりも気合を入れたらしい山中が間部に尋ねる。

「まあ、ないことはないけど、俺こいつと…」

と、彼はちらりと僕を見る。山中もこちらに顔を向け、耳についたイヤリングがキラリと揺れた。

「いや、僕はいいから、行ってこいよ」

流石に空気を読まねばならんと、紳士らしく進んで僕は身を引いた。間部は軽く眉間に皺を寄せたのち、

「そうなん?ていうか何用?」

と山中たちに尋ねた。そんなもの一つしかないだろうと、僕は間部の無神経さにため息をつきそうになったが、

「山本君の代わりに出て欲しいんだよね、女装コンテスト。なんか体調悪くなっちゃったらしくて…」

との答えには、驚きを隠せなかった。

「間部君色白いしスタイルいいし、結構似合うと思うんだよね、浴衣。うちら的には山本君の次に候補だったから、できればお願いしたいなって言ってて…」

そう続ける山中や、後ろでウンウンと頷く女の子たちに対して、

「ごめん、俺、ちょっとそういうのは無理だわ。トイレ行って来る」

と表情すら変えず言い切り、無残にも俺と彼らを残して間部は一人立ち去っていった。俺と彼女たちの間には、暖かい日差しにも関わらず寒々しい風が吹き、華やかな文化祭においてこの一角だけブラックホールに飲み込まれたような感覚に陥った。

「…や、なんかごめん。…ほらあいつさ、顔だけは良いけど割と唯我独尊みたいな所が結構あるからさ、」

と何故か僕が必死になってあのクソ野郎のフォローをしていると、彼女たちは顔を寄せ合いヒソヒソと話し合いを始めた。

「どうする、もう時間ないよね…」

「流石に棄権とかはまずいかも」

「有武君は?意外といけるんじゃない」

「確かに。小柄だし華奢だし、顔薄いからまあ見れるくらいにはなりそう」

「もう良いかな、有武君で」

「良いよ」

話し合いは終わった。僕は一も二もなく、人気のないどこぞの教室に連行された。

 

ナガタ源平合戦〜2〜

 

 無念にも頼政以仁王の挙兵は平氏の軍勢に敗北を喫し、またその三ヶ月後の石橋山の戦いでも、源頼朝率いる源氏は大庭景親らに敗れてしまう。苦戦を強いられた源氏であるが、この風向きは相手方大大将、平清盛の死により変化していく。

 強力な指導者を失ったことや畿内・西国を中心とする飢饉で平氏の基盤は弱体化し、倶利伽羅峠の戦い源義仲に破れると、平氏安徳天皇を奉じて西国に下った。これがいわゆる「都落ち」である。ここで平氏の去った京を我が物顔で闊歩するは義仲、欲を出して天皇を操ろうとするその傲岸さは、頼朝の不興を買った。頼朝は陸奥にいた弟・義経を呼び寄せて義仲を討たせ、その勢いのままに福原での一の谷の戦いに突入させる。

 源氏の中での内紛を好機に、平氏は西国で勢力を立て直していた。力を蓄え、都と目と鼻の先である摂津福原まで帰してきた平氏と、義仲を討ち乗りに乗った義経・範頼率いる源氏の戦いであるのだから、一ノ谷の戦いはやはり源平の争いにおいて天下を分けた要石的戦いであったと言えよう。

  

 一体、一ノ谷の戦いというのはどれほど壮絶なものであっただろうか。僕は須磨の海を眺めながら、遥か昔の武士郎党たちに思いを馳せる。ムッとする潮の匂い、足元の波に打ち上げられた海藻。波打ち際では三組の他のメンバー二十数人が、裸足を浅瀬に浸し楽しそうに笑っている。僕と間部は、それを遠巻きに眺めていた。

須磨浦公園まで辿り着いた我々は、六甲縦走を終え何の団結感を漲らせたのか、クラス皆で海岸まで行こうという空気になり東へ移動した。線路に沿って歩いていくと、須磨海岸と書かれた看板が出ており、右手には線路下をくぐるトンネルが続いていた。なぜか分からないが、ここでも僕と間部は先頭を歩いていた。通路を抜けると、遠くまで続く細かい砂の海が僕らを迎え、その先には静かな本物の海が開けていた。

 靴を脱ぎ海水に足を浸すと、冷たくて気持ちがいい。そんなことは百も承知であり、自らもその快楽に触れてみたいとは思うが、僕たちはいつその無邪気な衝動を忘れてしまったのだろう。塩水を洗い流す水道や、そもそも足を拭くタオルがないこと、サンダルではなく靴下履きのスニーカーであること…。バシャバシャとしぶきを上げて浅瀬を駆け、砂上を転げ回るクラスメイトの姿を見ていると、後を考えずにはいられない理性が僕を面白味のない人生に追いやっているのだなあと感じずにはいられない。

「間部、有武。お前らは入んねえの?」

と、クラスの中でも明るく目立つ方の、志田という男が声をかけてきた。もしや理性を封じ感情を解き放ついい機会が来たのかもしれないと心が揺らいだが、

「俺、脚の指の間に砂入るの嫌いなんだよね」

と平然とした顔で隣にいた間部が返したので、必然的に僕が海辺をエンジョイする可能性は失われた。「何て言ってた?」と女子たちに問われ、「あいつら、足の指に砂入んの嫌なんだって」と志田が答えるのが、潮風に乗って聞こえてきた。

 

 生田口、夢野口、一の谷と布陣を敷いた平家方。大将宗盛と安徳天皇海上に船で控え、平安京から追討に来た源氏軍を迎え撃つ。結果この戦いは平氏側の壊滅大敗に終わるのだが、それは敵の奇襲に負うところが大きい。

この奇襲の土壌を作り上げ「日本国一の大天狗」と呼ばれたのは、なんと当時の法皇である後白河だ。天皇上皇法皇というと、どの時代においても権力者の操り人形になっているイメージがあるが、彼は違う。大天狗の呼び名の通り、彼はこの戦いにおいて、裏でメチャクチャ暗躍していたのだ。「和解したいから戦いは一旦ストップしといてな、源氏にも言うてあるから」とのデタラメ文書を送りつけておいて、その翌日には東に範頼、北に安田義定、西に義経の三方から挟み撃ち。天狗の鼻も高々というところであっただろう。

この時の義経による奇襲が、馬で断崖絶壁を駆け下り背後から襲撃するという、あの有名な「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」である。これにより一進一退だった戦局は一気に源氏に傾き、北も東も防衛線を突破されたことから平氏勢は大パニック。事ここに至り、ついに大敗北が確定した。逃げ出した武士達が向かった海上は、その血で赤く染まったという。

 

今となっては彼らの血も大海に消散し、僕の目の前には青々とした姿で須磨の綿津見が広がっている。皆から少し離れた位置にあった小さな埠頭に立って眺めていると、日も暮れてきたしと解散の動きになった。各々帰路に着いたが、裸足になっていた皆がどうやって足を洗ったのか、僕は知らない。

 

 

 五月半ばの金曜土曜、長田では総力を挙げてのビッグイベントである文化祭が行われる。

 

 

あくまで僕の個人的な主観であるが、長田において目立つ、影響力を持つ、なんとなく面子の顔が校内に知れているという集団がいくつかある。ある者は完全なる悪意を持って「我が物顔で歩いている」「牛耳っている」と捻くれた言い方をするが、よほどキラキラした学生生活を送っている人間に対しての妬み嫉みが強いのだろう。繰り返しになるが、「あくまで」「僕の」「個人的な」「主観」でいくと、それは「生徒会」「文化祭スタッフ」「ダン部」が挙げられると思う。

生徒会とは生徒の代表であるため、人前に立つことも多く当然顔が割れている。またダン部とはダンス部の通称であり、「ナガタダンスクラブ(多分)」からNDCとも略される。こちらもやはり人前に立つことが多く目立つのだが、彼らに関しては一旦おいておこう。後々言及するかもしれないし、しないかもしれない。

僕がここで取り上げておきたいのは、そう、「文化祭スタッフ」である。本当のところを言うと、僕は初め、彼らのことを非常に恐れていた。

 

入学した当初から、昼休みや放課後になると中庭に大きな布を敷き、ペンキの缶をそこここに置いて色塗り作業をする集団が見受けられた。その布とは来たる文化祭において、中庭の三面(二面?忘れた)を飾る垂れ幕なのだが、何をしているのか僕には正直分からなかった。だが、その作業をしている集団こそ「文化祭スタッフ」の連中であった。

青春漫画に出てくるようなハイレベルな文化祭は長田生の誇りであるが、その表と裏を縦横無尽に駆けずり回り、持て余す若さと力を二日間のお祭りのために振り絞るのが、彼ら文化祭スタッフである。制服着用義務のない長田高校において、人為的かそうでないのかは知らないが、ペンキのついた彼らの揃いのつなぎは多くの者の羨望の的であったに違いない。

勿論彼らは一年生メンバーの募集もしていたが、「入りたい人はこちらのアカウントに連絡してね!」の謳い文句も、ツイッターをやっていない僕にとっては怖れの対象でしかなく、また全生徒に開放されているようで、明らかに見て取れる仲間内での団結感、その閉塞性にも恐怖を感じていた。早々に部活動見学を放棄した僕にとっては、わいわいする彼らの脇を通り帰宅することに何らかの負い目を感じ、その気持ちがそのままトラウマへと姿を変えたのかもしれない。

 

ナガタ源平合戦〜1〜

「ナガタ源平合戦

 

 兵庫と大阪をまたいで東西に走る阪神電車阪神の阪は大阪、神は神戸の意である。神戸といえば、海と山に囲まれ、中央区三宮の山側には北野異人館、海側には南京町、そこからもう少し西へと場所を移し、元町の商店街を抜けると見えてくるのは、赤くそそり立つポートタワーである。神戸のシンボルとも言えるそれは、まじまじと見ると黒ずんでボロくなっていることがよく分かるが、青くすこーんと抜けるような空には美しく映える。隣には船のような形をした白い構造物。オブジェにも見えるがれっきとした神戸市立海洋博物館である。また、真っ白で、分厚く切られたかまぼこのような形をした神戸オリエンタルホテルは、太陽の光を燦々と受け、四方を囲む海が反射した光に眩しく輝き、ホテルの持つ由緒正しき格式と、色褪せないその美しさと上品さは、まるで白鳥が浮かんでいるかのようである。

 平清盛の時代に「大輪田泊」なる貿易港として開発されて以来、神戸は古くから外国と通商を行い、洋菓子や神戸プリンをお土産の筆頭にし、「何となくお洒落な神戸」ブランドを強い味方にしてきた。しかしその実、観光客はそれほど寄り付かず、大阪京都奈良と、関西三強、日本屈指の観光地を近場にもつこの兵庫県は、わざわざ宿泊してまで旅行で来るには微妙なポジション、関西圏の住民らが、ちょっとお出かけで足を伸ばす程度の都市である。しかし友達とカフェーでお茶をする程度、昼間一人でぶらつく程度、ゆったりとした簡便ライフを楽しむ程度にはもってこいの場所である。適度な人口と適度な自然の、適度な都会。それが神戸だ。

 ポートタワー付近の広場は前まで寂れており、震災の記念碑がうら寂しく立っているような場所だったように思う(これは僕の子供の頃の記憶である。その傍らの海の、消波ブロックの隙間に潜むフナムシを眺めるのを好むような子供だった)が、近年非常に綺麗に再開発され、「BE KOBE」のオブジェに女子高生やカップルたちが列をなして写真撮影をし、隣のスターバックスでフラペチーノなるものを飲み、もう少し先のumieとモザイクで買い物をするというのが定番になった。阪神電車でそこに行くには、「高速神戸」駅が最も近い。別に僕は、阪神電車の回し者でも広報担当者でもなく、ごく一般の神戸市民だ。ただ僕の目的地はそのもう少し西に行ったところで、地理的状況を読者の皆さんにイメージして貰いやすくするために、こんな風にくどくどと述べているのである。僕の降りる駅は高速神戸駅からもう二つ先に行ったところ、そう、「高速長田」駅である。

 「高速神戸」「高速長田」と駅を二つ並べると、何だかものすごいスピードで両駅がダッシュし、先を争うごとく並走しているような想像をしてしまうが、なんてことはない「神戸高速鉄道」という鉄道会社の名前から由来している。高速長田駅は、神戸市長田区に位置しており、別段小綺麗でもショッピングモールが併設されているでもないちょっとした駅だ。長田区自体は神戸市九区のうちの一つであり、その面積は最小、かつ人口密度は最大であるという。

 グレーがかった白色にオレンジ色の横線の入った電車をここで降り、ホームから階段を上がって改札口へ。改札を出て右に曲がり、地下の居酒屋の前を通ってさらに階段を上がると、やっと地上に出られる。ここまでの道のりだけでもかなりの重労働であり、階段の多さにベビーカーを押しながら困っているお母さんを何度か見かけた。自分も荷物の多い日はひいひい言いながら上がった。

地上に出ると真っ先に目に入るのが、「官幣中社 長田神社」と大きく刻まれた長方形の石碑である。その背後には赤く縁取られた神戸市営地下鉄の出口があるのだが、その「朱」の色と石碑の雰囲気が奇妙にマッチして、ぱっと見霊験あらたかなものであるかのように見えてしまい腹立たしい。しかしここで最も特筆すべきは、出口左手の、これから僕が行く方向にそびえる、馬鹿でかい鳥居である。

 「長田神社前」の看板が鳥居の「二」の部分の間に綺麗におさめられたこの鳥居は、二車線の車道を跨ぐようにして立っており、足と足の間をすいすいと車が通っていく。北に歩いた先にある長田神社の参道であることを示すものであるが、大きい建造物というのは案外目に入らないもので、初めてこの地を訪れた時には「まあ立派な鳥居だなァ」と見上げたものだが、何度も通ると「見上げる」などという労力は払わなくなり、また鳥居だということも忘れ去り存在はないも同然になってしまった。

 さあ、話はまだまだ続く。駅降りて一体どこに向かってるねん、行程説明長いねんと思っているあなた、もう少し我慢をお願いします。鳥居の跨る車道の両サイドには長田商店街があり、神社へ向かう参道に様々なお店が軒を連ねている。和菓子屋さんに金物屋さん、パンにコロッケ、シャッターを下ろした店には政治家の選挙ポスター。昔ながらの商店街の雰囲気である。商店街をまっすぐ通り抜け、屋根のついた部分を抜けると、新湊川が細身の体を投げ出し横たわっている。日差しを浴びる川を横目に、幅広の橋を渡ってさらに北上する。右手にあるグルメシティの入ったビルを超えたあたりに十字路があり、コンビニの手前で左に曲がる。このコンビニは数年前はデイリーヤマザキで、よく昼食を買うのにお世話になっていたが、潰れて今はファミリーマートになっている。この道もまた真っ直ぐ進むが、左右は住宅地になっているので静かに通らなくてはいけない。この一本道の突き当たりまで来ると、もう目的地は近い。商店街に入ってすぐの時点で早々に曲がっていた他の者たちが左手からやって来ているので、彼らと合流し、ここから坂道へと突入する。最後の難所、この微妙に左回りに湾曲した坂をふうふう言いながら登っていくと、「それ」はは突然姿を現す。天高く、見るものを魅了し、何度見ても飽きさせない、単純かつ荘厳な「塔」。二色のグレーが四角い作りの塔を彩り、四つの側面には中央に一本、上から下まで貫くようにガラスがはめ込まれている。塔を中心として設計されたのであろう、横に続く渡り廊下や奥行きのある校舎は完全に調和し、沢山の窓から光が漏れている。そう、この坂の上の美しい建築物こそ僕の大事な青年期の三年間を過ごしたところ、「兵庫県立長田高等学校」である。

 

 大阪府大阪市此花区桜島にある超有名テーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン。某ネズミ王国とは一線を画し、お姫様や王子様らが紡ぎ出す華やかな夢というよりも、一攫千金的アメリカンドリームを売っているかのような商業臭を拭いきれない、愛すべきテーマパークである。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンは数年前、英国の超有名魔法ファンタジー小説を題材に、あるエリアを建設した。伏せ字にする必要もないので書かせてもらうと、ハリー・ポッターエリアである。あのエリアに行ったことのある人には、きっと分かるだろう。魔法界へと誘う「タンターン・タタンタータ・ターター」の音楽とともに、針葉樹林の木立を抜け、エリアの入り口に立った時の高揚が。入り口から見た魔法界は、圧巻の一言である。雪のかぶった三角屋根の家群、右手には本物そっくりの黒いSL、遠くに見えるはホグワーツ城。入り口から見える景色は、計算し尽くされていることがはっきりと分かるほど、絵画のように門の枠に綺麗に収まっている。

 「外観はめっちゃ綺麗だけど、中身はおんぼろ」。長田高校の生徒が間違いなく一度は口にした、控えめに言って最低でも一度は耳にしたことのあるセリフがこちらである。中学の時の高校見学で、初めてこの長田高校に訪れた僕は、パッと見のこの校舎に圧倒され、一目惚れした。前述したホグワーツ城を目の前にしたような興奮を、僕は感じてしまったのだ。一体何人の生徒があの外観に騙されたことだろう。この長田高校と魔法界の大きな違いは、相手が外観だけでなく内装も、多大なる予算のもと細部まで作り込まれた芸術品だったことである。いや、そもそも比較対象に持ってくること自体が間違っているに違いない。思い出すに懐かしいあの夏のオープンハイスクールでは、勿論校内見学もあったが、なんというかチームを作って脱出ゲームのようなことをする一日だったため、中身がどうとかには思い至らなかった。配布され家で読んだ学校紹介冊子も、非常に面白くユニークな内容で、僕は一も二もなく長田高校を第一志望に決めたのだった。断じて、その前日に見学に行った王子動物園北の山上にある神戸高校の、死ぬほど傾斜のきつい通称「地獄坂」に屈して、長田を選んだのではないことをここで断言しておこう。

 元来、神戸市の中学生は高校に上がる際、市全体を大雑把に三つの区域に分けた第一学区から第三学区の中の、自分の住んでいる区域の高校に入学することが定められていた。第一学区の国公立トップ校は「地獄坂」付き由緒正しき神戸高校。かの村上春樹の出身校であり、同校を舞台に書かれたと思しき作品の中で、「学校は山の上にあって、その屋上からは町と海とが一望のもとに見渡せた」と表されている。第二学区のトップは兵庫高校。実は長田高校とは目と鼻の先の所に位置し、商店街を抜けた所にある新湊川を東へずっと進んでいくと、兵庫高校にたどり着く。そして第三学区のトップ校が、ここ長田高校である。この高校を説明するなれば、自由の風が吹き荒れすぎて、変人の養成所かと言わんばかりの無法地帯。変人の先輩に憧れ、変人のクラスメイトに囲まれ、自らの変人性を持たないことをあたかもアイデンティティの欠如した人間であるかのようにコンプレックスに思い始め、入学前は常識人だったはずの者が十五年分の価値観を振り棄てることになる。

 しかし、僕は高校見学で、第一学区の神戸高校と、第三学区の長田高校とを訪れた。なぜか。それは、丁度僕らの代から学区統合が始まり、神戸市全域で高校を選び入学することが可能になったためだ。僕らは初代学区統合勢として、意気揚々と、否、高校受験の倍率がいかほどになるか誰にも見当がつかないという多大なる懸念のもと、入学試験へと挑んだのだ。だがその懸念は全くもって無用の長物だったことが分かる。各高校の入試倍率が新聞に掲載されたその日、僕、いや僕らの代の長田生は全員、両手を叩いて飛び回ったに違いない。何がどううまいこと回ったのか、県内でも有数の進学校である長田は0.99という数字を叩き出し、見事に定員割れをした。僕はその日から、ほとんど勉強をしなくなった。

 

 こんな風にぬるっと合格した僕は、三年間をこの見た目だけは整った高校で過ごすことになった。この手記には、僕の高校生活を出来るだけこと細かに書いていきたいと思う。思い返すに、変な三年間だった。いや、アレに巻き込まれたのは高二の間だったから、変な一年間だったというべきか。しかし、薄ぼんやりとして終わった高一の期間も受験勉強で忙しかった高三の期間も、基本的にはあの高校は変だったし不思議な空間だったから、やはり三年間通して変だったのだろう。ということで、この手記には僕の高校生活を様々な思い出とともに、出来るだけこと細かに、また高二のアレを中心に、書いていきたいと思う。

 

 偏差値だけではない自由な校風に憧れて、僕は長田を志し、見事(見事?)合格を果たしたわけであるが、結局のところ僕の人間性は入学後も顕著に変わることはなく、友人とワイワイ騒ぎ、日々部活動に情熱を傾けて肉体の鍛錬に勤しみ、可愛い彼女と登下校するなどということにはならなかった。そんな幻想を抱かなかったかと言えば嘘になるが、如何せん僕は何かに情熱を傾け、人前に出たり目立つ役割を与えられたりということには多大なる精神的ストレスを感じてしまうため、ただただ誰にも迷惑をかけず自分の手の届く範囲の小宇宙で、心の平安と惰眠を貪ることを第一とする日々を送っていた。 

部活動選びなど、まあひどいものだった。爽やかなイメージだしちょっと明るい人間に見られるかな、と昔かじったことのあるバドミントンを候補に入れていたが、かなりハードな部活で夏までラケットを持たせてもらえず筋トレばかりと聞き、速攻で候補リストに二重線を引いて消した。また、中学になかったし清廉硬派なイメージだし、と剣道部にも興味を持ったが、部活動見学で向かうべき部室の場所が分からず、ここかもしれないという剣道場は鍵が閉まっておりしゅるしゅると意欲がしぼんで消えた。今日はいい、帰ろう、と思ってそのまま校門を出た。そんな風にして僕は部活動見学に関して帰らずの人となり、帰宅部生活が定着したのであった。

 クラスに関して言うと、定員割れの結果なのかこれまた校風と言うべきなのか、県下一の賢い高校にしてはその真面目さやお堅さを持ち合わせない、明るくオープンな人間が多いなという印象であった。別段明るさもオープンさも持ち合わせていない僕は、気後れをした訳でもないが、積極的にその輪の中に入っていこうという気持ちも起こらなかった。「有武」という苗字で例年通り出席番号一番を取った僕は、窓際最前列で外の植え込みを眺め春の陽気を感じていた。なんとなく自分と同じ空気を感じたのだろうか、そんな僕にも関心を抱くやつはいるもので、一人の男が無言で俺の隣の席に腰を下ろした。横向きに座ってこっちを正面にしているので、俺も目を向けた。色白でそこそこ背が高く、細身で眼鏡をかけたそいつは、俺がこの長田で最も長い時間をともに過ごすことになった友人・間部である。

「…うす」

「おう」

「有武だよな」

「うん」

「有武はあいつらとは喋んねえの?」

と、教室の後方で集団になっている男子の一群を目で示す。間部は、先ほどそちらの話の輪から抜けてきたようであった。

「んー、まあ自分から話しかけに行かなくても、そのうち喋るタイミングは来るだろ、みたいな」

はーっ、と間部は大きく息を吐いた。

「めっちゃ分かる」

口数が多い訳ではないが、一言一言が結構僕の好きなシュールさと絶妙なセンスを醸し出しているタイプで、かつ割と整った顔立ちであったため女子からもひっそり人気がある男だった。大勢で騒ぐのは好まないらしく、僕も非常に似たものを感じ馬もあったため、彼とよくつるむようになった。

 

こうして、高校生活を送る上での最重要トピックである、僕の部活動選びと友達づくりは早々にして幕を閉じたのである。内心はどうあれ表面上は僕は目立たず騒がずおとなしく、相応に心の平安を獲得することが出来たのであった。

ここで一つ付け加えておくが、僕と同じ中学出身の者はこの学年にはいなかった。僕は灘区に住んでいるため旧第一学区の民なのだが、やはり周りは家から近いところに通う者ばかりで、わざわざ第三学区を選ぶ人は少なかった。誰も自分のことを知る人がいないと言う状況は、ある意味解放的で、僕は自由を感じて嬉しかったのだが、そのうちそうとも言っていられない事実が判明する。長田高校において、僕は同中の人が一人もいないというだけではなかった。「旧第一学区から」長田高校に来た者は、僕一人だけであった。大きい人口を抱える神戸市、中でも中心部の第一学区は一番人が多いというのに、その中で長田へ行く者は、僕の他に誰一人として存在しなかったのである。

 

「海のある方が南、山のある方が北」。これは神戸市の子供が方角を教えられる際に使われる表現だ。海と山に囲まれた神戸だからこその教え方であろうが、悲しいかな、僕は「テストの点は良いアホ」という子供で、小さい頃からそう教えられてきたものだから、日本全国、否、万国共通、海は南で山は北なのだと思い込んでしまった。小四あたりから、「ぼんち」というところだったら方角はどうなるんだろう、などと首を捻っていたが、そもそも海山で方角を測ろうというのがこの地域限定だということを知り、愕然とした。このようにして、僕の方向感覚は養われることなく今に至る。

この北の象徴である山というのが、神戸の西から東にかけて横たわる六甲山である。神戸市民にとっては小学生の頃から遠足やらなんやで慣れ親しんだ山であり、布引の滝やロープウェー、ハーブ園など見所もそこそこある。そして、入学して早々生徒が駆り出されるのが、長田高校から宝塚までの山道を分割し三年かけて歩く「六甲縦走」だ。

高校生にもなって山になんて登らんでも、とは大半の生徒が思ったことであろうが、クラスの親睦を深め人間関係を構築するという目的の行事であるし、新学期始まった直後にサボろうという気は起こらない。当日はあいにくの晴れであり、粛々とジャージにリュックを背負い、男子が前、女子が後ろの出席番号順で一列になりスタートした。一年時の六甲縦走は、長田高校から出発して高取山、鉢伏山を経由し、須磨浦公園に至るというルートである。住宅地をしばらく行くと、途中から次第に道の傾斜が急になり、気づけば山が目の前にやってきている。

一列とは名ばかり、徐々にその隊形は崩れ始め、各自が好き勝手に移動し始める。例に漏れず、間部は後方でわじゃわじゃ話していたようであるが、早い段階で僕の隣にまでやって来た。「間部」の位置から「有武」までわざわざやって来るなんて、相当僕のことが好きなのかもしれないなコイツ、と思ったが、先生の後ろで一人黙々と歩くのなんてまっぴらごめんなので、ありがたく彼を受け入れ、心の中で抱き締めた。

山道というのは、上りは上りで太ももが痛いだの、早く下りたいだの不平をいうものだが、下りに差し掛かればそれはそれで、つま先が痛いだのまだ上りの方がましだっただの不平を言う。だが終わってみれば、「俺は今日山に登った」という達成感と、アクティブかつアウトドアな一日を過ごした満足感を得られる。また、今日はもう疲れただろうしご飯食べてゆっくりしたら寝なさい、という温かき勉強への免罪符をも貰える。山というのはそういうものである。山も、可哀想なことである。

実際、六甲縦走はなかなかハードな行事であった。春の瑞々しい新緑や、見知らぬ小鳥のさえずり、肌に染み入るような山独特の湿気など、普段味わえない自然を楽しむことが出来る一日であるが、受験期をろくに運動もしないで過ごし(途中で勉強はやめたもののゲームにハマった)、部活にも入らずじまいの僕には周りの景色を味わう余裕もない。湿っぽい腐葉土に覆われた道を一歩一歩進み、岩に足をかけ、前を行く二組と離れすぎないテンポ感を意識する。初めは僕の前にいた担任の野島も、後ろのうるさい奴らや女子たちの様子を見るため後方にまわり、僕と間部が三組の先頭を切って歩いていたのである。間部は次第に登るスピードが遅くなっていることが不安ならしく、

「ほら、かなり二組が前に行ってる。さっきより離されてるぞ」

などと言い、余裕がある訳ではないため僕も、

「しょうがないよ、これ以上速く歩くと持たない。体力の配分を間違えたくはない」

と言い返す。

「たいしてやる気もないし道も把握してない俺らが先陣なんて、いいんかな」

「これが出席番号というやつさ。それにお前が自分から僕のところに来たんだろう」

「初めは野島が前にいたからなあ。これがア行の宿命か」

「間部はいいな、有武という名字が一生背負う十字架がないんだから」

 

 山登りの何が辛いかといえば、それはやはり目的地との距離感を把握できないことであろう。早く休憩したいという思いはスタートして十分も経たないうちに抱き始めるのだが、待ちに待った昼ご飯もそれが何時頃どの辺りで設けられるのかを知らせられないために、その時間は突如訪れる。一年時の六甲縦走のお弁当タイムは、横尾山、栂尾(とがのお)山を抜け、高倉台を越えたところにある「おらが茶屋」にて設けられていた。おらが茶屋という字面から、まるで木造の小屋で笑顔の素敵な老夫婦がお茶とお菓子でも出してくれそうな場所を想像してしまうが、その実、おらが茶屋はロープウェー乗り場と見紛うような白いコンクリ造の狭い展望台であった。一階が公衆トイレ、二階が喫茶、屋上が展望台という建物なのだが、なんせ広いところではない。我々は、我々より前を歩いていた一組二組との席取り合戦に負け、山風も強く出来れば屋内で食べたかったという思いを抱きながら、茶屋の下にある広場にて弁当の蓋を開いたのである。

 

 おらが茶屋からゴールの須磨浦公園までは近い。山道をずんずん下って行くと、徐々に草木が整備されたものへと変わっていき、公園の敷地内へ入る。

 

 須磨浦公園では三月に「敦盛祭」なるものが催され、また四月上旬には夜桜のライトアップが人を呼んでいる。その桜が「敦盛桜」の名で親しまれていることからも、須磨浦公園が「敦盛」を全面にプッシュして地域を盛り上げようとしていることは明白であるが、その由縁はかの平家・清盛が甥、平敦盛の没した地であり、敦盛の塚も公園の敷地内にあることに端を発している。

 遠く平安の世の中で、平氏と源氏が国を二分し相争ったという源平合戦。笛の名手であり、当時十七の若者であったという敦盛は、この須磨での一ノ谷の戦いに参加し、敵将熊谷直実に討たれその短い生涯を閉じた。その死に方は潔く、若き美貌の少年の死は平家物語の名場面の一つとなり、文楽や歌舞伎の題材にもなった。

 一ノ谷の戦いは、源平合戦の勝敗を分けた戦いとして知られている。ここでしばし、源平合戦について話をしよう。

 そもそも源平合戦とは、治承四年(一一八〇)から元歴二年(一一八五)までの足掛け六年に渡る大規模な内乱であり、学術的には治承・寿永の乱と呼ばれている。武士階級出身の平清盛太政大臣として国のトップに立ち、平家一族は揃い揃って高位高官、自らを生まれながらの貴族とでも言わんばかりの増長した政治を行った。「平氏じゃなければ人じゃねえ」とは誰が言ったか知らないが、千年の時を経て現代の我々にも伝わると分かっていたなら、間違いなく口を慎んだことだろう。

 当然の如く平氏に対する反感は高まり、その最中の治承四年、清盛が自分の都合に合わなくなったと時の法王・後白河を幽閉し、孫の安徳天皇を位につけた。流石にもう見て見ぬ振りはできないと源氏・源頼政平氏打倒の声をあげ、皇子・以仁王の令旨が諸国を駆け巡った。これに応じて、園城寺興福寺の僧兵、伊豆に流されていた源頼朝信濃木曽谷にいた義仲をはじめ各国の武士団が挙兵し、内乱は全国へと広がったのである。